ジャンヌ・ダルク─わがカルマの考察
ジャンヌ・ダルク─わがカルマの考察
女のカルマを解消するために、ママンたちは男社会の中で闘ったと、今にして思う。それは父権社会のカルマを解消するためでもあった。なぜならその末裔たる私には、みごとに父権的束縛がないから。父権から解放された地点で人生を送り、考え理解するのが、この世に転生する以前に自分が決心したことで、そしてこれこそ、ママンたちが男社会から勝ち取った自由でもあった。
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私からパパたちを奪ったのはママンたちだと、考えていたことがあったけれど、それは違った。正直、自分にはパパたちがいなくて寂しいという想いはなかったし、パパたちは破碇したこの世の結婚について、あの世で気に病んでいるというから、離婚は男女両成敗だと子孫の私は理解できた。人が家族というグループになるのは、いち早くカルマを解消できる条件を、満たしているからだという。
ママンたちと私の人生は、あまりにもべったり一緒だったから、母権によるの束縛とも思われたけれど、ママンたちの権威は、老いてボケの前に崩れ去って行った。人ってこんな風になるのかと泣けてきたし、早く死んでくれればいいのにと思ったけれど、魂がなにものにも穢されることがないように、霊止(ひと)の人生にはあくまでも尊厳があると、看取りの中で理解できた。そしてママンたちは死をもって、あの世とこの世の繋ぎを強くした。
あの世の方が大きくて、小さなこの世を支えているんだけど、小さくたっていろいろあって、いろいろの渦中から諸々のコントロールを学ぶ。一番の学びは感情体をクリアにすること。これって惑星規模の課題らしいから難しいんだけど、この世で肉体をもって魂が実地体験しないと解らないから、みんなこの世にやって来て練習しているのだ。
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あの世からのメッセージも、ときどきやって来る。私にとってはハイゴさんたちの声で、少し前に、もっと勉強しろ!なんて言われた。向こうから来るお言葉は、もっと波動が高くなると、神の声になるんだろうね。神の声を聞いたというジャンヌ・ダルク。あの世とつながった聖女は、この世の権力と陰謀の中で殉教した。
ジャンヌの生きた時代は、公開処刑が人々の最大の余興だったというから、陰惨なことを見て楽しむ人の本能は、今も書物や映画というフィクションの中で生きている。そうしてカタルシスは、人の心に刺激を与え、人類の洞察力を高めてきた。
ジャンヌ・ダルクとの出会いは、ベルばらが社会現象だった頃、世俗に染まりすぎる私を心配して、家人が闘う聖少女について、話したものだと思う。孤高を保ちなさいというのが、我が家の教育方針だったから「中世騎士の時代」とか「オルレアンの少女」なんて本が、いつ間にか家にあった。そしてジャンヌ・ダルクは私に効果的だった。神の声を聞くってどういうこと? 聖女なのに魔女と言われて火あぶりになるなんて? 子供心に聖と俗のサジェスチョンをもたらした。
思春期の頃、私がジェンダーバランスとして憧れたのは中性的であることだったのも、闘う少女像があったから。男と女の中間であることが望みだったけれど、それを社会に認知してもらおうとは思っていなかったから、今でいうダイバーシティとは違っていたと思う。そしてパパたちのいないママンたちが、無意識の内に望んでいたのは、私が家庭の中で男役になることだった。今思うと、これが一番不気味なことだったかも知れない。
英語のグループ学習の時間に「あなたのヒーローはだれですか?」というお題目が出た。その時初めて気が付いた。私の中にヒーローは存在していないと。闘う女性が、ヒロインが、ヒーローだったから。これはパパたちの不在が影響しているかもしれない。
パパたち、ママンたち、みんながこの世を去った今、男役を降りた自分にほっとしている。男っぽいポーズを考えなくていい、自然体の私、闘いよりも和解が私のテーマ、それが私と家族の、カルマの解消法だと思うから。
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ジュワルクール大師によれば、イエス大師は今も毎日たそがれ時になると、世界のすべての人々のために祝福を贈っているという。昔の権力者たちから人間は悲惨な殉教者であり、罪人であると教え込まれてきたけれど、気高い心はいつも神に通じていた。だから今こそ思い出していい。本当の聖なる波動は神からの祝福だと。
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アングル先生は、画家たるもの、二階から人が落ちてくる間にその姿をすべて描き出せなければならないと、説いていたそう。恐るべき瞬間クロッキーの技!カメラもビデオもない時代の画力よ!眼力よ!
ところで漱石先生の坊ちゃんって2階から飛んで腰が抜けたんだよね
私は洗礼名をジャンヌ・ダルクにしなかった。モニカにしたのは、母性が遠い存在に想えたから。決して口にしなかったけれど、パパたちのいないママンたちの母性は、私にとって満月というよりは十六夜(いざよい)だったので、涙の母と言われた聖モニカの母性が欲しかったのだと思う。
聖モニカが涙の母といわれるゆえんは、異教にかぶれた息子アウグスティヌスが改心するように、来る日も来る日も涙ながらに祈っていたから。その結果は、改心した息子がのちに聖アウグスティヌスと呼ばれるようになり、彼の著した「告白」にあるとおり。黙想の家の神父様から、女性が誰かのために涙をながすのは、美しいことなんですよと教えてもらった。それが私の中で、涙の谷につながった
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