真夜中の教会 神よ あなたの小道を教えてください
真夜中の教会
猛暑の間、夜は電気を点けないで過ごしていた。夜気が涼しいので天窓を開けて自然体で暑さをしのげれば地球にも優しい。地球がどんどん熱くなっているのが心配だし、電力セーブでクールダウンと行かないか? 自分一人がこんなことを考えても、ゴマメの歯ぎしりだけど、結構面白くて毎年やっている。
暗い中に居ると、目を開けたまま目を閉じているようで、ちょっと異次元的。なんて思っていたら、真夜中の聖堂で座っていた時のことを思い出した。夜中に家人が転倒、骨折して、救急車で病院へ搬送したあと、やるせない思いで、所属教会の聖堂に辿りついたのだった。
重い扉をそっと押して中に入ると、ご聖体の明りが灯っていた。もちろん誰もいない。聖堂は夜の中に、静もっていた。そこに座ってぼんやり前を見ていると、そのうち頭が空っぽになって、夜と自分が溶け合って、そこに居ること自体が言葉なき祈りになったような。聖堂を出て歩き出すと、来た時よりは元気になっていた。
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あのとき私は夜の聖堂で何を得たのか? ふとO嬢も夜の聖堂で何を想っていたのかと頭がワープ。愛する夫に先立たれたあの夜、彼女に慰めはあったのか? じつは私も少しだけ、好きな人があの世に去った時のことを、知っている。
ギターが上手だったその人は、私に「禁じられた遊び」の弾き方を教えてあげるよと言った。お互い何となく好きなのを解っていたし、ちょっと尊敬もしていた。卒業の日を迎えて、また会いましょうでもなく、そのまま何の変哲もない日々を送っていたある日の夜、ベッドに入って眠ろうとしていた私は、ふっと何か温かいものに包まれて、あら?と想う間もなく、安らかな気持ちになって、そのまますうっと眠りに落ちて行った。それからほどなく、ギターの彼が亡くなったのを知った。あの安らかな気持ちになった時、彼が来ていたと直感した。それっきりだったけど、それで充分。愛のリアルの知り染めだった。
猫子さんのダニエル物語に描いたのは、愛というエネルギーのリアル。母が肉体を去ったとき、この世に喜びをサンサンと降り注いだ七日間のことも思い出す。なので死別を慰めるのに、言葉も物もいらなくて、特効薬はただ愛の波動のみだと知るに至った。そして愛は必要な時に必ず訪れる。
あの世に去った魂は、魂としてやるべきことをやっている。だからギターの彼も、あの世で元気にやっていて、こんな風に思い出すのも、あの世とこの世が時々、シンクロするからだと思う。
慰めは、ただ愛のみ
愛する夫と別れ別れになったO嬢は、その半日後には殉職なさり、彼女の引き裂かれた一夜は、一夜で終わった。愛してやまない妻を残して、この世を去ったA氏だって、必死だったと思う。ロームさんによれば、人は死ぬと幽体が完全に出来上がるまで7日間かかるそうだから、初七日って重要視されるわけだけど、A氏は7日なんか待っていなくて、速攻、妻のヘルプに出たと思うよ。
O嬢は絶望の一夜の中で、自分の愛の深さを知ったわけだから、辛くても必要なひと時だったんだろうね。そののち彼女も肉体を去って、魂として二人は再会する。あらゆるしがらみから解放されて。
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ジュワルクール大師によれば、この世には葛藤を通じての調和という光線が降り注いでいるそうで、この光線はいつの時代にも、人類によって活性化されているという。大師目線で見れば、人類の絶望とか孤独とか、不安や恐怖さえ、人の心が長年かかって作り出した自分を閉じ込める檻に過ぎないと理解できる。そして、この檻の外の世界こそがマコトの存在、マコトに生きるべき世界なのだそう。
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「私はあなた方に平和を残し、私の平和をあなた方に与える」・・・キリストのこの言葉が指している平和とは、あの温かな安らぎ、愛の波動のことだったのではないか?・・・鈴虫の音色を聴きながら、今夜も想いは真夜中を馳せる。
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