乳房考
乳房考
人はみな魂の旅のどこかで、男であり、女である。これは自分の実体験から得た気づき。仙骨の付近に炎症が出ては消え、出ては消えして、もう4年くらいになる。仙骨付近に炎症が出るのは、闘いの過去生を送って、我とわが身に負荷をかけてきたからだという。過去生のどこかで男だった私は、そんな風に生きてきた自分と、今、炎症を通して向き合っている。闘いの人生を経て、和解の人生に至るために、今生は女性に生まれたとしたら?
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気が付いたこと、私は女性を軽蔑していた。最も身近な家人の女性たちを。彼女たちは今、霊界で修行を続けている。軽蔑の時は過ぎて、彼女たち、魂たちは解放されている。だから今、自分が女性として生きていること、そして死ぬことを、喜んでいい。
乳房が柔らかであるように、心も柔らかに保って、闘いの過去生から和解に至る。乳房は受け入れ、愛を与える。乳を飲んだら安心して眠るように、待ってみる。過去生の痛みが和解に変わるまで。私は今、女性として生きているから。
5月の始めに罹患した帯状疱疹は、病への恨みを転換への歩みだったと思う。医療と投薬を、私は恨んでいたけれど、恨みはもう手放していい。治癒の過程にいるところだから、スピリチュアルな乳房の滋味栄養である官能と美しい夢に導かれて、さらなる「気づき」を待っている。
痛みの只中ですっかり忘れていたけれど、5月5日の満月はウエサク祭だったんだ。世界は和解と救済を求めている、本当に。
女性で在る、男性で在る、どちらも尊いこと。O嬢の苦悩は深かったでしょうね。そして苦悩の報酬である甘美な果実、真の愛に目覚める。ほんとは涙の谷2を描き直そうとしていたんだから、二人(男女)を描かなければ。少女から女性の図像になって、ちょっと逸れた。
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