私が消えると神が・・・
私が消えると神が・・・
私が消えると神がお通りになると、シスターとよく話をした。エゴイストな自分が消えると、見えてくるものがある。見えてきたヴィジョンのままに日常を過ごしていると、つんのめらず、結果として一番いいように進んでいく。それを神がお通りになると称していた。ところがエゴイストは、なかなか消えない。結果、神はお通りにならないで、私はつんのめっている。
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一時、Lean in(前のめり) なる言葉が流行った。女性たちも出世を目指してリーン・インしましょうと言うわけだったけど、ジェンダーギャップやフェミニズムの問題も、解決進展へ前のめりどころかつんのめって、本来の意図からそれていると思えてならない。先を急いでも、時が来ていないのなら何事も進まない。では、その時はいつ来るのかといえば、水瓶座の時代というのはみんなが次元上昇する時代で、アセンション出来ない人は今まで通りのまま、この現実に残るという。神の再臨みたいなことも、ずっと待たされていると思っているけれど、これって人の意識の変容ということなんじゃないか?と、思うこの頃。
だとしたら、まず個人の意識の変化があって、それがみんなになった時、大きな波動となってドーンと変わる。今まで通りのところに残った人々は、ソレと気づかずにこの現実を生きる・・・でもそれじゃ嫌だから、私はこの日常に隠されている秘密の入り口に辿り着きたい。さて、どうしたものか?
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先週の遠隔治療の際、今までにない感覚を覚えた。仰向けに寝た姿勢で、治療を受けていたら、空が迫ってくるような感じがしたので、エネルギー体の外側に何か変化があったのかと思った次の瞬間、体全体が宙に浮いた感じがしたのだった。南先生に報告したら、霊体に修復が起こったのでしょうということだった。あの三秒に一回稲妻が走る大頭痛に見舞われた時、母の「お手当」で体が宙に舞い上がる感じがしたのは、霊体の修復だったのかと、ふたつの出来事がつながって、不思議の意味がはっきりした。
思えばあの頭痛以来、私は感情のもたらす弊害と向き合ってきたのではなかったか? 想念というもののリアルが解かったし、その弊害から解放されるプロセスを知った。記憶から浮かび上がる想いを、もう一度追体験する。これは精神のホメオパシーと言える。良くなるためにもう一度、ライトなレベルでかつての苦痛を味わう。軽いんだから逃げてはいけない。向きあって後ろへ流す。「みなさん、ここで想いに浸ってしまって、元の木阿弥になってしまう」とは南先生の伝。つい「ああ、あの時はホントに嫌だった。あいつが悪い、こいつが憎たらしい」と怒りや憎悪を蒸し返して悶々にハマってしまう。そうならないって自分に言い聞かせて、手放して行く。これを何度となく繰り返してきたわけで、今も繰り返している。
ブタを殴ったり、小役人と喧嘩したりと、感情の大波小波に揺さぶられてきた。今は嫌味な夫婦に出会っているけど、以前の自分みたいに腹が立たない。それは物事を見る視点が広がったからかもしれない。嫌味な夫婦の奥さんがある時、突然こう言った。「アタシは二度目、ダンナは三度なの」と。それで気が付いた。これは先祖の問題がやってきたのだと。我が家って二代続けて離婚しているから、先祖たちがクリアできていない問題を、地上にいる子孫も取り組まねばならないのだ。これは未解決の問題をクリアするチャンスなんだから、逃げてはいけない。
離婚と再婚を繰り返す男と女とは何だろう? 母と祖母は再婚していない。父と祖父は再婚している。父は再婚後、また離婚して独り身のまま、介護の仕事について、いい加減だった今までの人生をつぐなって行きたいと言っていた。男と女が協力して生きて行く気高さとは何か?あの世とこの世が一致して、未来に向かって、ヴィジョンを描かなくてはならないのだとしたら? これは改めて、先祖共々考えてみなければならないテーマだろう。
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魂は、現世で受けた何事にも傷ついていないという。宇宙から降り注いでいる波動=正常波動を意識する。意識の中にない出来事は、人生の中に入って来られないというから、不幸なことばかり考えていると不幸になり、その反対なら言わずもがな。
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ものごとって三つの様相があるなぁと。感情、精神、霊魂。スピリットにも三様相。アタシの感知するスピリットはやっぱりまだシッポがある。猫子さんたちだから、ミステリースクールで修行しないと行けない。私が消えると神がお通りになる。今、エゴはどこにいるのか? 次のステップは必ずやってくるから、今の問題をしっかりクリアしたい。
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