肌であります
肌であります
お盆休み中、皮膚について読みつつビランについて考えた。イギリスの先生が書いた本*の「魂の皮膚」という章がきっかけだった。ヨブ(旧約聖書の人物)が悪魔の仕業で、体中に出来物が出て、素焼きのカケラで体中を掻きむしったのは、快楽の隠喩だと書かれていて驚いた。そういう見方もあるのかと。ヨブは試練の人だとばかり思っていたから。
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『皮膚、人間のすべてを語る──万能の臓器と巡る10章』 モンティ・ライマン著 塩崎 香訳 みすず書房
フェルメールの真珠の耳飾りを付けた少女の唇が、この一冊の雄弁さを語っています。
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悪魔が何を企んだかと言えば、ヨブが正しい人だったので、ひどい目に合わせれば神を呪うに違いないと、試みたのだった。それを悪魔に許したのは神でヨブに触れてもいいが、命だけは取るなのとの言明で、悪魔はヨブの皮膚をひどい有様にした。確かに皮膚炎は命に別状はない。けれども人は、自分の皮膚から逃れることができないので、炎症が高じると、ただ事ではない苦痛になる。セーターを脱ぐように、手袋を外すように皮膚を脱いでしまえたら! 自分もビランに苦しんだけれど、全身ではなく両手だけだったから、まだマシな方だったのだ。
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イギリスの先生が刃物で皮膚を引っ掻くほどの痒みについて言及している。気も狂わんばかりの痒みというものが、この世にはあるらしい。ビランの過渡期、私は痒みを掻き落とすべき不要なものが皮下に入ってしまったから、それを排出しているのだと理解していた。なので1ミリでもいいから早くそれらを体外へ出してしまいたい。そう思っていた。ゴールを目指してひた走るような気持ちだった。だから痒い所を掻くと長続きしない満足感があると読んだとき、それはあまりに軽すぎる物言いだと思った。そして私がビランの渦中、熱望していたのはこのビランという試練がどこから来たのか? その理由を知ることだった。そして医者に掛かるという意識は全くなかったのだ。
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思えば死病に罹患した2歳の時点で、私の皮膚はほぼ全身にダメージを受けていた。子供心に、自分は人とは違う者になったのだと思った。だからみんなのようになりたい。そう願っていた。あるとき祖母が私に言った「それはあなたの勲章なのよ」と。彼女は私を慰め、力になりたいと思ったのだろう。けれども祖母の言葉は空しかった。私はただひたすら、人と違う自分が呪わしかったので。
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呪わしいとか、恨めしいとか、怨念のようなものがどこから来るのか? 絶望はどこから来るのか? 皮膚を通して私は考えなければならなかったのだ。そういう道を選んで生まれてきたのだと、気が付いた。イギリスの先生は皮膚こそ自分の存在そのものだと、結論づけて最終章を結んでいる。皮膚が人体の一番外側にあって、一番内側ともつながっているそのわけは、皮膚が心の反映をまとっているからと、話を展開している。それって波動修正療法で日々、直面している想念とかエネルギー体という事実の、科学的な気付きではないだろうか。まだ始まったばかりの話だけれど、科学の分野でも、この目に見えないものへの認識が確実に始まっている。目に見えないものだけれど、確かに存在するものこそが、目に見える世界を支えているという真実。この方向で間違っていないという確信を持った頃から、心の中の恨みつらみは消え失せていた。人の心は不思議である。
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生まれたばかりの赤ん坊が、皮膚を通して快・不快を感ずることで、生きることの最初の一歩を踏み出すことを思えば、人が肌から安心を得ていくのには、きっと奥深い仕組みがあるのだ。ビランという不快から解放されつつある今、肌が安らっているとき、人は優しい気持ちでいられるものだと実感している。
ビランは試練である。試練の渦中にあって、人はどう生きるのか? ヨブは自分の生まれた日を呪いながらも、神が自分を訪う時を疑っていなかった。宇宙には慈悲があることを忘れはしなかった。だから待っていた。神が訪れてくださるその時を。これがヨブ記の、福音書の、すごいところで、神が来てくださる時、どのように訪ってくださるのかを、私たちに示している。試練の先には今までの自分を超えた何かがあるという真実につながっている。事実ビランと過ごした私の心には、大きな変化があったのだ。
ブログを始めた3年前、私は自分の中にある恨みつらみを順序だてて綿密に語るであろう自分を思っていた。けれども違った。気が済んだのか、疲れ果てたのか? いかんせん今の私は、ひどく小ざっぱりした気持になりつつあって、恨みつらみを後ろに流したと言える。もっと自由に解放された私でいいんだと、なっている。
波動修正で正常波動な自分になってきたという事かも知れない。幼い私の肌は全身ダメージを負ったけれど、死病を通り過ぎて若者となったとき、若い人ってきれいねと、年長の方に言われたことを覚えている。肌の美しさを褒められたのだ!人生はわれ知らず拡大する。そして自分が年長組に近づきつつある今、若い人の美しさを素直な心で讃えている。そこには自分が失った時間への哀しみ、負け惜しみなど全くない。怨念の毒素から解放されたのはビランの炎症と共に、心の毒素も排出されたからなのか?
ヨブが信じた神の訪れ、試練のあとの安らぎを宇宙は万人に分配している。
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このところ、肌も露わな絵ばかり描いているんですが、猛暑の日々、ニカウさんの妻みたいな恰好で自分時間を過ごしているので、すっかり開放的な肌カナ気持ちになって、眠り姫のバストに、もう一度じっくり取り組んだら、うっすらお目覚めとなりました。
女性の美しい胸は安らぎであります。裸というとまずエロチシズムが前面に出ますが、その中に清純さが秘められていて、それはあとから付け足すことも取り去ることもできない何かであって、描く者の日々精進するところであります。
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「愛の部屋」もバージョン変更しました。
大きなバストが好きなのは日本とアメリカで、ヨーロッパ圏では片手に入るサイズが好まれるとか?そうは言ってもその片手、結構大きいんじゃなくって?
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