愛してるよ
愛してるよ
唐突に言われた「愛しているよ」は、笑いになりえると知ったのは、祖母のクラス会における電話連絡だった。祖母は女学校の卒業生で、いにしえのことだから、同級生には置屋のお嬢さんだった人がいて、その方から日程の電話連絡が入ったのだった。「玉江さん?(祖母の名前)Fちゃんだよぉ、愛してるよぉ・・・」と、第一声があったので祖母も「アタシもぉ・・・」と、返したそうで。自分は同級生に電話して、愛してるよぉって、なかなか言えないと思うので、Fちゃんてやるなぁと、おおいにウケたのであった。もちろん、そのFさんとお会いしたことはないんだけど、写真を見たら、水之江滝子(松竹歌劇団・往年の大スター)さんを小柄にしたような方だった。そういえば水之江さんは北海道のご出身で、祖母の知り合いの海鮮問屋さんのところへ、子守さんにきていたと、伝説が残っている。祖母たちの話をすると、もうすでに時代劇なんだなぁ。
さて本日、どうして愛してるなのかといえば、先ごろYouTubeにアップした我が「Parodeis」が、R18に指定されたからでした。YouTube側からメールをもらって、へえ?!と驚いて、一瞬、取り下げることも考えましたが、こういうことになったら、この先どうなるんだろう?と、気になって、こういうことは初めてなので、興味が沸いて、しばらく様子を見ることにしました。
年齢制限は、好き嫌いの問題とは、ちょっと違うんですが、作品を評価される経験では、さらなる積み重ねになるところがあります。個展の開催やグループ展に参加した経験から「あなたの絵は嫌い!」と、言われても割と揺らがない自分になっていました。最初は内心ガーンと来ていましたが、人前で評価を受けるってこういうことなんだと、だんだん肝が据わりました。じっと耐えていると判ってくることがあって、さらに嫌いというお世辞はないので、ちゃんと見てくださったんだと、思えるようになったのです。チャラチャラっと見て、お上手ですこと、なんて言われるより、嬉しいかもしれない。そんな風にだんだんと、心臓になって行ったのです。
自分でも、ぞーっとするような嫌な作品を見たりして、世の中にはこういう表現もあるんだと、認められるようになりましたし、好きなものがあればその反対もあって当然だと、気が付いたわけです。
それでも何かあったとき、警告が向こうからやってきたと思って、留意することを怠ってはいけないと肝に銘じました。自分にとって都合の悪いこと、弱ったなぁと思うことは、ひとつの警告です。それ以上、間違った方向へ進んではいけないよと、言われているんですが、何度も間違えています。
今回は公衆道徳とか、幼年者への配慮というマナーも加味して、こういうことになるかと、思っています。少し前に、ピンタレストに投稿した作品でもひとつ、削除になったことありました。今回はログインで閲覧可能ということになりましたが、面倒だから見る人が減って、評価も下がるかなぁ…?と、いちまつの不安もありますが、行く末も気になるのが、物書き根性です。自分の作品に恥じるところはありませんが、公の場と、趣味の世界をきちんと分けて考えなければいけないんだと、経験を噛みしめています。
それに世の中にはずいぶんひどい表現があるのに・・・と、なんとなく反骨の精神も芽生えたりして、おためごかしの正義に負けるもんか!みたいな気持ちも、どこかにあります。
かつて介護とサバイバルで、私は職場をてんてんと変わる羽目になり、その経験から、何かあっても一晩寝ると立ち直るタイプになりましたが、やっぱり数時間はへこんでいました。今は、この経験から学んだ私の作品を、作りたいと思っています。
ありがとう。ごめんなさい。ゆるしてください。愛しています。(潜在意識をクリーニングする4つの言葉)今の私に、とてもぴったりな言葉です。
自己憐憫的な投稿になっているかも知れません。お許しを。
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