ピエロ
ピエロ
自分は常に、泣くより笑う方が上等だと思って生きてきた。けれども、泣いている人の方が絵になるんだなぁ。人前で笑うのは平気だけど、泣くことは憚られるから、泣いている人を見るのは、どこかタブーを侵すような、ひそかな喜びがあるのかも知れない。
十代の頃、ちょっと素敵な人形を見た。頬に涙を浮かべた少年のピエロ。マットな釉をかけた瀬戸焼のヘッドに一筆書きで描かれた顔が魅力的だった。細い眉が20年代風の中性的な美人顔。モンマルトルでマルセルという名の男の人が作っているそうで、Titululi(ティトゥリュリ)というすごくフランス語らしい発音の、人形たちの一人だった。
人形を絵に描くのは難しいと言われる。生き物ではないけれど、やっぱり命があって生きている。その矛盾が難しい。水色の衣装に身を包んだ人形が心に残って、ピエロはきっとおどけ者という以外、何かあるに違いない。きっと彼らは魔法を知っているんだ。私はひそかにピエロについて調べ始めた。
案の定、道化師たちには様々な逸話、小道具や衣装の意味があった。もともとは権力者たちのお慰みに傍らにいた連中で、笑いのコロモにくるんで、おエライさんにもズケズケものを言うから、笑いを通してどこか神秘的な力が加味されて行ったらしい。笑いは次元を変える。いつの間にか上下関係だって逆転させる。
顔を白く塗って、白い衣装を着たピエロはイタリア生まれで、フランスに渡って今のような洗練された形になったそう。ピエロはどこにでもある名前だから、どこにでもいる人を表しているのに、誰でもないという逆説も秘めている。ピエロは主人の従者なので、恋にも権力にも一歩引いた立場。いつも命令されるばかりで、恋は実らずじまい。笑いの陰にメランコリーあり、それでピエロはお月さんと盟友で、心ここにあらず、いつも夢ばかり見ているというわけだ。
今でもたまに、あの水色のピエロくんは、どうしているかと思い出す。きっとピエロ好きな人の家で幸せに暮らしているんじゃないか? 黙して語らずだけど、人形は人よりも長生きだから、笑いも涙も知っている。あの子はピエロなんだからなおさらだ。
ちなみに、お人形を処分する時は、目を覆ってあげるといいんだって春水先生から教わりました。
読んでいて、連城三紀彦の短編集『恋文』に出てくるピエロの話を思い出しました。
人間を描いているのですが、水色のピエロ君を思わせるものがあるせいでしょう。
ダメ男君のピエロ。
じつはダメ男君じゃなかったりする。
という韜晦こそ道化・・・。
ジャン・ギャバン氏が「役者は道化だ」と、言ったそう。
悲哀の裏に、深み・・・ニヒルってかっこいーから、みんな憧れ。
そこまでちゃんと、書けたらいいだろうなぁ。