死は死ではない2
死は死ではない2
母の死 ・カラス
生き物は自然に息絶えるとき、食べなくなることを、私は家猫の死を見て知っていた。動物には自意識がない分、神様の時間と直結している。だから、時がきたときは素直に体内の寿命時計に従って、死を迎える。
母も最期は、日に日に食べなくなって行った。もう、近いのかな。ああ、私は一人で母の死を看取らなければならない。怖かった。怖いのをこらえていたら熱が出た。

それでも私はいつもどおり、歩いて勤めに出かけた。どこか後髪引かれながら。角を曲がって二本目にさしかかった時だった。一羽のカラスが目の前に舞い降りた。カラスや鳩がいるのは、日常茶飯だったけれど、こんな至近距離に来ることはない。カラスは私を導くように、前をヒョコヒョコと歩き続ける。フロックコートの教頭先生みたいに。 頭の中で声がする。「来たんだ。その時が。いや、そうじゃない。そうじゃない!」認めたくなかった。けれどもその日の夕方、母は逝った。カラスは知らせに来ていたのだ。
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表層意識の底の蓋が開いて深いレベルに達すると自由な世界に出ると思いますが、
お母様が亡くなられるまでの間に極限の体験を重ねることで、そこに達せられたのではないか。
と、今回のブログを読んで考えました。そこに至るまでの辛さをよく耐えられたと思います。
使者たちの存在を感じながら生きると深いレベルでは孤独ではないのかなと思いました。
ぼくには先祖との交流体験は今のところありません。
けれど、深い体験からモニカさんが様々学び、日々を生きて前に進んでおられることには
ブログを読みなが納得できるものを感じました。嬉しく思いました。
涼さん、いつも深く読み込んで頂きまして。確かに人生辛い時の方が、響くものがあります。
シューベルトが友人たちの前で「冬の旅」を初めて披露した時、
みんなは暗い歌の数々にすっかり閉口してしまったそうですが、
シューベルト自身は、いつか君たちもこの歌を好きになってくれるだろうと、言ったそうです。
私の人生暗かったとき、あのシュトゥッツマンの「冬の旅」が何と神々しく心に響いたことか!
21番目の「宿屋」なんて天使を見たかのような気持ちになりました。
その10年後、人生そう暗くもなくなった時、もう一度シュトゥッツマンの「冬の旅」を聞く機会があったんですが、
全24曲、歌のひとつひとつが、細胞に染みわたるような印象は、すでにありませんでした。
暗くても、暗くなくなってもの体験は、興味深いものでした。
主は言われた「いつも喜んでいなさい」と。ホントですね。